ちびまる子ちゃんと呼ばれて
先日、世間に漫画家さくらももこさんの訃報が届いた。
漫画は全巻じゃないけれど、それなりの巻数を持っていて初期やエッセイも持っている。
だけど社会人になってからももこワールドに浸る時間はなく、語れるほどのファンでもない。
しかし、ここ数日、この訃報が頭から離れず、いろんな人のコメントやツイッターで流れてくる漫画の名シーンなどを見ては落ち込んでいた。
なぜだろう。
その理由に昨晩ようやく気づいた。
わたしは幼いころから『まるちゃんみたいだよね』と、いろんな人に言われてきたのだった。
それは30代になった今も同じで、幼い頃からまる子の日常はわたしの日常にとても近かかった。
布団ではなくベッドに憧れ、漫画雑誌を積み重ねてベッドをつくり、夜中に崩れ落ちるくだりなどまったく同じことをわたしもやっていた。
おっちょこちょいだとか、うっかり者だとか作中でまる子に投げかけられる言葉は、わたしが現実に投げかけられてきた言葉でもある。
また、まる子のみせるピュアな部分とどこかある種の諦めを持っている、ババくさい部分のバランスも自分とよく似ている。
残念ながらそれを昇華させるような、さくらももこ氏のような才能は私にはなかったけれど。
最近のよくわからない落ち込みは、なんだか自分の分身(周りに言われ続けて無意識にそう思い込んでいるのかもしれないが)が半分どこかに行ってしまったような、そんな気持ちからなのかもしれない。
きっとこんなアラサー女子が日本中にごろごろいるんだろう。